こんにちわ2022年1月号 私が目にした大規模災害 院長 風谷幸男
あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いいたします。
新年早々、大規模災害のお話で恐縮ですが、先日、西条市消防本部のご指導の下、市内で複数傷病者が発生したという想定で訓練を行いました。そのとき、ふと、阪神淡路大震災の記憶が蘇りました。
当時、私は近畿中央病院の官舎(尼崎市)に住んでいました。1995年1月17日午前5時46分、突然の大きな揺れで目を覚まし、咄嗟に添い寝していた子供の上に覆いかぶさりました。そこにタンスが倒れてきました。ただ事ではないと直観しましたが、外を見ると真っ暗でテレビはつかず、何が起こったのか全くわかりませんでした。家の中は物が散乱し、食器棚も倒れガラスの破片だらけで足の踏み場もなく、水も出ませんでした。家内からすぐ病院に行くように促され外に出ると、血を流した人々が列をなして救急入口に向かっていました。病棟は水が噴き出し水浸しでしたが、看護師がカルテをビニールで覆い、涙を浮かべながら「大丈夫です」と、驚くほど冷静に対応していました。入院患者の安全を確認し救急外来に向かうと、そこは正しく野戦病院でした。職員が次々と駆け付けて来ました。30km先から歩いて出勤して来た人もいました。後日、話を聞くと、咄嗟に何らかの回避行動を取り、難を逃れた人が沢山いました。家屋が一瞬に倒壊すれば助かりようがありませんが、境界線上の人が無事でいられるのは運だけではないと実感しました。
東日本大震災では、事前の準備のあるなしが地震発生直後の人々の行動に大きく影響しました。西条市は南海トラフで被害が大きい地域と予想されています。大規模災害時の医療体制は医師会、消防と行政が垣根を超えて真剣に話し合うべき重要課題です。コロナに翻弄され後回しになっていますが、もう先延ばしは許されません。